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 長男の死が教えてくれたこと

  ―――先生が、天然の生薬を開発されるようになった背景には、がんでお子様を亡くされた悲しい体験があったとお聞きしています。
  丹羽  十八年前、ぼくにとってはついこの間ですが、小学二年になったばかりの長男の剛士が急性骨髄性白血病と診断されたのです。ぼくは医者ですから、不孝にしてカルテが読める。この子は、あと一、二年で死ぬ。あと三ヶ月、あと三日、あと一日ということまでわかるんです。自分の病院に入院させたら私情が入って悪い結果を生む、駄々をこねて注射も打たせてくれないなだろう。当時、西洋医学がすべて正しいと思っていたぼくは、そう思って高知医大病院に入院させました。
 
  ―――断腸の思いでしたね。
  丹羽  そのころのぼくは、アメリカ留学から帰って発表した論文が一流の国際医学誌の審査に合格して何度も掲載されたり、そのことが国内外でも認められて国際学会の招待講演を依頼されたり、テレビに出演したりと、注目を集めていました。研究に、論文の執筆にと多忙を極め、子供たちと遊んでやる時間はありませんでした。
  父親を意識するようになっていた剛士と初めて遊んだのが、いよいよいつ死ぬとわかってからです。週に二回は病院は半日で閉めて、土佐清水から四、五時間かかる高知医大病院に行って最終の特急が出るぎりぎりまで、剛士と一緒に飯を食い、双六をして遊びました。剛士はこれまで遊んだことがなかった父親が急に来て遊ぶようになったもんだから、喜んでね。私は激しい悔恨の情に襲われ、胸をえぐられるような辛さでした。
 
  ―――治療の経過はいかがでしたか。
  丹羽  一旦は退院したのですが、白血病は必ず再発します。仮退院から半年後、再入院となりました。子供というのは成長期にあって新しい細胞ができてくるから、割と抗がん剤の副作用に強いんです。最初の半年くらいは髪の毛が抜けるくらいで頑張っていたのですが、半年を過ぎたあたりから、食欲が低下しました。無理に食べさせようとしても首を振って何も食べない。そのうちにあばら骨は見えてくるし、足は骨と皮ばかりになる。抗がん剤の副作用で、出血を止める血小板が激減し、全身には紫の出血斑が出て、口と肛門には血塊ができ、胃と腸も潰瘍に侵されてお茶一滴飲ませても、痛くて悲鳴を上げるようになりました。
  最初十時間も効いていた痛み止めのモルヒネも、五時間、三時間、一時間とだんだん効かなくなる。主治医が「医者の子供だから何とか治したい」と頑張れば頑張るほど抗がん剤の量が増え、剛士はベッドでのた打ち回りました。それでも西洋医学オンリーだったぼくは抗がん剤を止めようとは思いませんでした。
  剛士は、見舞いにきたぼくの顔を見ると、ぼくが医者だと知っていますから「パパ、苦しいよう、お腹痛いよう。助けて」と叫ぶんですね。ぼくは「よし剛士、まっとれよ。いま助けてやるからな」と気合いをいれる。しかし何もやってあげられることはない。ただ剛士のベッドの周りをうろうろするだけです。息子の血のにじむ訴えに対して全く無力でした。そのときの剛士の苦しみようは、尋常ではありませんでしたが、もし剛士がそのままの状態で死んでいったら、今日のぼくはないんです。今日のぼくがあるのは、最愛のわが子を通して、彼の臨終にこの世の地獄絵を神様から見せつけられたからなんです。
 
  ―――どういうことですか。
  丹羽  剛士が亡くなる三、四日前、死体解剖をしなかったからはっきりしたことはわかりませんが、おそらくがん細胞が眼球の後ろに回ったのでしょう。剛士のトレードマークだったまん丸で澄んだ目が、四aから五a前に飛び出して垂れ下がったのです。神経が切れていますから目は見えません。骨と皮だけになった剛士は、仁王さんのような顔をさらして、一日中反りかえって、乾ききったかすれた声で、「パパ、ママ助けて、苦しいよう」と訴える。
  水分も一切受け付けず、口から入っていないから肛門から何も排泄されるはずはない。それなのに点滴した成分は浸透圧の関係ですべて腸管から下痢、血便となって肛門から出てくる。まさに生き地獄そのものでした。おそらく医者が何万人集まっても、こんな凄惨な死に様は見ていないでしょう。これが最高水準の医療の実態なのです。
  ぼくは「何が東大病院じゃ。何が国立がんセンターじゃ」と涙ながらに心の中で叫んでいました。ぼくはこのときほど、医者の空しさというものを感じたことはありません。
 
  ―――現代医療の限界なのですね。
  丹羽  ぼくは四十年前に京大を出て、大学病院では、がんには抗がん剤、重症の膠原病にはステロイド、とこれしか教えてくれなかったし、教科書にもそんなことしか書いていなかった。少しは疑問を感じましたが、これも医者の正義かと思って、医師の卵のころから二十一年間、抗がん剤を何百人もの患者さんに処方してきました。がんの患者さんは、全員もだえ苦しんで死ぬわけですね。教科書には抗がん剤の副作用は強いと書いてある。苦しむのも、致し方ないことだと思っていました。家族が泣いているところへ、ぼくが入っていって脈を取って「ご臨終です」と涼しい顔をして帰っていく。訴えられることもなく義務を果した気でいたんですね。
  ぼくは、がんで自分の最愛の息子がを亡くして初めて、これまで亡くなっていった多くの患者さんの苦しみに思いをはせたのです。


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