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 日本にはびこる無責任な終末医療

  ―――しかし、天然の生薬がそれほど大きな威力を発揮すとは驚きです。
  丹羽  ぼくの治療法は、これまでの西洋医学のやり方とは大きく異なるので、医師会や製薬会社、健康食品会社などから、いろんな嫌がらせを受けたり、誹謗、中傷を浴びせられたこともたびたびでした。しかし、言われなき中傷とは反対に、末期がんの患者さん、大学病院でも手に負えなかった重症のリウマチ、アトピーの患者さんがぼくの病院を訪れる数は年々増え続け、それに合わせて、医者たちの目も変わり始めました。「こんな軽い薬で、こんな重症のがん患者が治るとは。」そういって毎月、何人ものお医者さんがぼくの病院を訪ねて来られます。そして入院患者のカルテや治療内容、天然の生薬の加工方法を見て、納得し、丹羽療法研究会に入ってくださっています。その数は大学教授を含めて約三百人にのぼり、全国でぼくの治療を行ってくださっているのです。
 
  ―――ところで、先生は一般に用いられる科学的な抗がん剤はお使いにならないのですか。
  丹羽  ぼくも西洋医学を学んだ医者ですから、抗がん剤が特別硬化があると確認された難病については断固として使用する場合もありますが、それ以外では使いません。その理由を述べる前に、まず、がんとはどういうものかお話しましょう。
  がんというのは、人間の正常な細胞よりも何十倍も強い、いわばお化けや岩みたいなものなんです。切れ味のいい抗がん剤を続けると確かにがんは弱る。しかし、それより先に正常な細胞がやられてしまうんです。ですから患者さんは、脱毛、間断ない吐き気と大変な苦しみを味わうわけです。しかも、弱ったがんはゼロにはならない。強い副作用で人間のほうがやられてしまい途中で中止せねばならなくなりますが、そうなると、それまで以上にがんが大きくなる。人間ががんに免疫ができるのなら、まだありがたいのですががんに薬に対する免疫ができるのです。そうすると、それまでの何倍というきつい薬を処方しないといけなくなる。がんを殺そうとおもったら、人間が先にやられる。のた打ち回って死ぬ。幼稚園児でもわかる簡単な理屈ですね。
 
  ―――確かに。
  丹羽  ぼくは自分の療法を確立する以前、多くのがん患者を診てきましたが、直接がんでは死んでいない。直接の死因は全員抗がん剤の毒性だったのです。悲しいかな、地獄の苦しみで剛士が亡くなって初めて目が覚めたのでした。ぼくは自分の反省を踏まえて、死を待つだけの患者さんに無意味な抗がん剤を投与し断末魔の苦しみを味わわせることは絶対にしたくありません。
  そりゃあ、人間弱いものですよ。剛士の死が目前に迫っていながら、ぼくが抗がん剤を止めようとしなかったのも「いまは抗がん剤が正常な細胞を叩いているけど。そのうち奇跡が起こって、がん細胞に向かってくれないか」と祈る心で思ったからなんです。何十年も医者をやっていて、そんな奇跡が絶対に起きないことは百も承知しているはずのぼくですら、最後は神頼みだったのです。患者さんが奇跡を祈って副作用の強い抗がん剤を使う大学病院やがんセンターにすがるのも無理はありません。だから、医者はもっと自分の身になって、患者の気持ちを思わないといけない。余命幾ばくもない末期がんの患者さんや、奇跡を願う家族を玉虫色の言葉で説き伏せて、抗がん剤で徹底的に打ちのめすことは絶対やったらいかん。大罪です。ぼくはこのことを社会に強く訴えたいと思います。
 
  ―――患者本人と家族でなければ本当の苦しみ、悲しみはわかりませんからね。
  丹羽  そのことで、ぼくには忘れられない話があります。剛士が発病する二、三年前ですが、ある有名な大学教授の奥さんが胃がんになって私の病院に来られたんです。ぼくはご主人にこう説明しました。「奥さんは胃の出口が完全にがん細胞で閉鎖されてしましました。もう何を食べても吐いてしまします。あと四、五日の命でしょう。」ところが、そのご主人、「何とかお粥一口食べさせる方法はないですか」「良い痛み止めはないですか」とぼくにすがりつくんですね。七十人、八十人の患者さんが狭い待合室を階段の上まで上がって待ってるなか、その先生、ぼくのところに三時間おきにやってきて、粘っては泣きつく。ぼくは病院の中を逃げ回りながら、言葉には出さなかったが「有名な大学の先生が、何と物分かりの悪いことか」と心のなかでさげすんでいたのです。
 
  ―――患者さんの気持ちが理解できなかったと。
  丹羽  申し訳ない限りです。ぼくは、剛士が亡くなる三ヶ月前になって、この先生とまったく同じことをやっていたんですね。剛士はすでにがん細胞が全白血球の九十lを超え絶対絶命のところまできていました。ぼくは、帰りの特急に乗るためタクシーを医大病院前にギリギリまで待たせておいて、嫌がる剛士にお粥一口、オレンジ八分の一を食べさせてやろうと必死でした。おだてたり、すかしたり、起こったりしているぼくをの姿を、主治医や婦長がシラッとした目で見ているわけですね。ぼくは勘がいいからわかるんです。国際リウマチ学会の招待講演まで受けて、テレビや新聞でしょっちゅう取り上げられている著明な臨床医がなんというありさまだろうかと、そんな気持ちだったに違いありません。
  そのときぼくは、あの大学の先生を思い出した。「ああ、先生に悪いことをした」と自分の行為を恥じ、懺悔の心ででいっぱいになりました。人間、いよいよ追いつめられたら、何とか奇跡を祈る心しかない。これは医者も科学者も素人もかわらないんですよ。


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