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 患者の悲しみを胸に抱いて

  ―――患者の医者に対する思いを考えると、医者は常に、患者さんの心を導く指導者という立場にあるわけですね。
  丹羽  ぼくがいま抱えている進行がん、末期がんの患者さんは全国で四千人から五千人います。そのなかには残念ながら助からない人もいます。死ぬ間際の患者さん、家族にとって神仏はありません。医師こそが神様なのです。自分一人だけに優しくしてくれるかけがえのない神様のような存在なんです。ところが、医者の立場からすれば、全体の何百分の一、何千分の一として扱ってしまいがちになるんですね。
  医者として心がけるべきことは、どんなに患者さんが多くても、一人ひとりと対面して、苦しむ患者さんの身になって考えるということです。とくに何もしてあげられない末期がんの患者さんは、優しい治療をしてあげることが一番大事なんです。そしてこれが真の治療につながるんです。ぼくは癇癪持ちで、患者さんをよく叱りとばしますが、それでも必要とあればカルテを持って夜中の一時、二時でも電話をし宿泊先のホテルに呼んででも診察する。最後まで責任持ちますよ。
  ところが、これができる医者とできない医者がいるんですね。いくら一流大学をでた秀才であっても、人間性までは教育できません。幼児期からの家庭教育も影響しているかもしれませんが、医学生のときに、その人間に心があるかどうかをみて、それでふるいにかけないと、本当の良い医療というものは得られないと思います。
 
  ―――まさに医は仁術ですね。
  丹羽  韓国で開かれた活性酸素の国際学会の講演の招かれた際でした。ある韓国の実業家が、とても興味 深い話をしてくれました。
  四百年前の李朝時代、許浚という韓国史上きっての名医がいた。彼が若いとき、白いひげをたくわえた白髪の老人が許浚の診療所を訪れ、薬の置かれた棚を眺めて許浚に、患者に与える薬を次々に指示した。あまりの迫力に押されて、許浚が言われた通りに患者に渡すと、患者の病気とはまったく関係のない薬だった。ところが不思議なことに全員の病気が治ってしまった。狐につままれたようになっている許浚のもとに数日たって再びその老人が訪れて言うには「お前には、医師としての才能があるが、欠けているものが一つある。それは心だ。私は医学のことは知らぬが、患者を治してあげたいという強い祈りの心で薬を指示したのだ」と。
 
  ―――いい話ですね。
  丹羽  実はぼくはこの話を聞いてドキッとしました。というのも、そのとき、連日訪れるあまりにも多い患者さんを持て余し、もっとスムーズに診療するため、患者さんと一対一で、じっくりと悩みに耳を傾け、はなしを聞いてやるという、それまでの診療方法をあらためようかとおもっていたからです。医者としてのあるべき姿をぼくに教えてくれた剛士の顔が頭に浮かびました。ぼくは危く剛士との約束を忘れ、患者さんとの交わりをおろそかにするとこだったのです。


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